ジェフ&レイソル兼任サポひとり千葉ダービーマッチ男、ことちぃちぃにょ?親方の日々の書き記すまま。 ログは「小」または「最小」でみるべし。


by ta_ch1967
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【イラン戦までは】旅人よ Longesut Journy【TOPでつ。】



なんだか ほんとに安心したよ
無茶して心を傷つけただろう
なんだか ほんとに安心したよ
おまえの笑顔に今会えたから
やるせない夜は街路樹を
アンテナにしてあの人に
SOSでも打ちまくれ 計算できない悲しみの

強い風にいま立ち向かってゆく
遙か 彼方を目指した旅人よ
いつか再び君に出会うまでは
どうかどうか笑顔を絶やさぬまま

36.5度のカラダで
乗り越えなければならないんだな
36.5度のカラダで
しっかりしなけりゃならないんだな
果てしない夜は切なさと
孤独に抱かれてあの人の
優しさを胸に泣きまくれ
どうにもならない悲しみの

強い風にいま立ち向かってゆく
遙か 彼方を目指した旅人よ
いつか再び君に出会うまでは
どうかどうか笑顔を絶やさぬまま

広い宇宙の上を歩いてゆく
遠い遠い自分に出会うために
カッコ悪い道を選んだ男
カッコ悪い夢を選んだ男


強い風にいま立ち向かってゆく
遙か 彼方を目指した旅人よ
いつか再び君に出会うまでは
どうかどうか笑顔を絶やさぬままで



この歌は「電波少年」のコーナーで猿岩石がユーラシア大陸横断ヒッチハイクの
旅で爆風スランプが猿岩石の応援ソングとして作ったものなんですが、初めていく
マレーシア&シンガポールへ向かうときにこの曲を忍ばせました。
 
 8年前のてん末はこちらで一度話しているので、読んで見てください。
  この前書いたときにはあえて書かないでおいたんですが、ジョホールバルの話
には続きがあります。

 このネットの仲間たちで応援していた頃、韓国戦までは大きくわけると3つのグル
ープの混成部隊で応援してました。いまでは絶対できないとは思うけど、70人近い
人がウズベキスタン戦、そして9月の終わりの韓国戦までともに応援してました。
 その後、応援スタンスの違いや諸事情でUAE戦の時には分裂してしまいました。
お互いがキライになった、というわけではなかったんだけど、人数が膨れすぎて、い
ろいろ軋轢が出てしまったんですよね。

 お互い袂を分けてしまいましたが、マレーシア、ジョホールバルのラーキン競技場
の前で分裂したグループの代表のAさんとバッタリ。しかし、Aさんはサングラス越し
に浮かない顔をしていました。
 よくよく見ると岡野の14番レプを着たAさんの袖から肩口の辺りが汚れていて、な
おかつ破れていたりしていたんです。「Aさん、そのレプリカどうしたんですか? 転
んだの」と聞いてみたら…とんでもないこと聞かされました。







 そのレプリカはMさんという方が着ていらした。しかし姿はない。Aさんらのグループ
が東京から名古屋発の飛行機に乗るべく移動(当時東京からマレーシア、シンガポール
へ向かう便はみんなクローズで、吾輩も名古屋から飛んだ)していた時、先発隊が自動
車事故に遭い、Mさんだけが絶命してしまったそうです…。
 Mさんは9月28日の韓国戦の時に吾輩らと青山門前で鍋を囲んでいて、Mさんはレ
ッズ系で吾輩はジェフ&レイソル系ではあったけど、夜中までサッカーの話が尽きな
かったこと覚えています。その日が2度目の対面だったんですがね。

 AさんたちはMさんの遺品託され、ジョホールバルまできたそうなのです。
(このことは当時の新聞にも載ったようですが)
 だから、この試合で岡野が118分に決めたゴールを見て、吾輩は鳥肌が立ったん
だよね。あまりにも出来過ぎな大団円を迎えたことに、悲しみと喜びとえらくゴッチャ
になった気持ちが錯綜していた…。

 この曲を聴くと思い出すんですよ。破れかかった炎のユニと「魂」の文字、開場前に
降った大粒の雨のことを。中島みゆきの歌が流れていたラーキンに「虹」が出ていた
ことを。


 8年を経て、今度はイラン、10万人の男ども敵に回して戦う。吾輩が待ちに待ってい
たアウエーの戦いはあと10日あまり…。
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by ta_ch1967 | 2005-03-25 22:35 | Blue/Red/Yellow