プレーイングマネージャー。
2005年 09月 21日
読んで字の如く、プレーしながらマネージメントをする「プレーイング・マネージャー(選手兼任監督)」。もし実現するとなれば、古田の師匠である野村克也が1977年途中まで南海ホークスで務め上げて以来となる。
「古田監督」正式要請へ 選手兼任も視野に交渉 (9・20/Excite エキサイト : スポーツニュース・共同通信)
プロ野球創生期では、チームの中心選手が兼任監督として指揮することがあり、あまり珍しい光景ではなかったが、プロ野球が成熟する過程において少なくなっていた。70年代にまず、南海の野村克也が弱冠35歳で兼任監督になって主砲、正捕手、監督の三役をこなし、48年にはパリーグ優勝に導いている。阪神タイガースのエース・村山実が、75年には闘将・江藤慎一が太平洋クラブライオンズの兼任監督になっているが、実質成功したといえるのは野村ぐらい。面白いことに野村と江藤は監督を解任されたあと、カネヤン率いるロッテオリオンズへ移籍している(野村はその後西武で現役を終える)
古田はもともとグラウンド内で指揮をしているようなもので、プレーイングマネージャーとなってもそんなに違和感がないように思える。今年はケガなどで小野や米野にマスクを譲り渡しているケースが多い。本格的に指導者に転進するなら潔く引退するのも手なのだが、本人はやる気満々っぽい。ヤクルトもスター選手が手薄で古田は顔としては欠かせないから引退勧告なんかはできないだろうが…。
そういえばサッカーでもプレーイングマネージャーがいましたね。
グレン・ホドル
ルート・フリット
ジャンルカ・ビアリ
(いずれもチェルシー)
イングランドでは日本のように資格(S級ライセンス)を必要としない、ということらしい)
「古田監督」正式要請へ 選手兼任も視野に交渉 (9・20/Excite エキサイト : スポーツニュース・共同通信)
プロ野球創生期では、チームの中心選手が兼任監督として指揮することがあり、あまり珍しい光景ではなかったが、プロ野球が成熟する過程において少なくなっていた。70年代にまず、南海の野村克也が弱冠35歳で兼任監督になって主砲、正捕手、監督の三役をこなし、48年にはパリーグ優勝に導いている。阪神タイガースのエース・村山実が、75年には闘将・江藤慎一が太平洋クラブライオンズの兼任監督になっているが、実質成功したといえるのは野村ぐらい。面白いことに野村と江藤は監督を解任されたあと、カネヤン率いるロッテオリオンズへ移籍している(野村はその後西武で現役を終える)
古田はもともとグラウンド内で指揮をしているようなもので、プレーイングマネージャーとなってもそんなに違和感がないように思える。今年はケガなどで小野や米野にマスクを譲り渡しているケースが多い。本格的に指導者に転進するなら潔く引退するのも手なのだが、本人はやる気満々っぽい。ヤクルトもスター選手が手薄で古田は顔としては欠かせないから引退勧告なんかはできないだろうが…。
そういえばサッカーでもプレーイングマネージャーがいましたね。
グレン・ホドル
ルート・フリット
ジャンルカ・ビアリ
(いずれもチェルシー)
イングランドでは日本のように資格(S級ライセンス)を必要としない、ということらしい)
by ta_ch1967
| 2005-09-21 04:55
| やきゅう