ジェフ&レイソル兼任サポひとり千葉ダービーマッチ男、ことちぃちぃにょ?親方の日々の書き記すまま。 ログは「小」または「最小」でみるべし。


by ta_ch1967
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サムライ増田忠俊、引退。

 市原、柏でも活躍した大分の増田忠俊が引退を決意した模様だ。
鹿島の時は黄金期を支えていた一人で、ビスマルクがゲームを組み立て、増田がアクセントをつけて柳沢やマジーニョなどの助っ人、長谷川や黒崎の得点のお膳立てをしていたドリブラー。強引にパワフルに突破する当時の彼は敵としてほんとに嫌な選手だった。

元日本代表MF増田が今季限りで引退(11・13/日刊スポーツ)
サッカー日本代表の軌跡・増田忠俊(gooスポーツ/NumberWeb)
 吾輩も"日本代表"としてのプレイを見た記憶がないと思ったら、フランスW杯へ向けた新戦力を模索する39人の中にいて、豪州で1試合出場したのみだった。確か、当時のサッカーマガジンもダイジェストも増田を"救世主"扱いしていた記憶があったが、岡田構想からはいつの間にか外れてしまっていた。
 悪いことは重なるものでその年の広島戦でGKと接触した際に、右大腿部の骨折という重傷を負い、ほぼ1年間棒に振ってしまう。
 その後、復帰するものの、なかなか輝きを取り戻すまでにはいかず、翌年東京へ移籍。
 そのあと2002年、ベングロッシュ時代の市原に加入。レギュラーというよりは攻撃のジョーカーのような形でリーグ戦、ナビスコ、天皇杯を合わせて5得点を記録するものの、まさかの戦力外でその年のトライアウトを受験。

 そのトライアウトで拾った形でレイソルと契約するに至った。
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 レイソルの3年間はサブからスタートし、いつの間にか右アウトサイドを任せられることが多くなる。チーム事情で慣れない左アウトサイドも経験、若手ばかりのレイソルの中で、薩川とともに経験をチームに注入していった。特に2005年終盤、チームがJ2陥落危機に陥った際に鬼神の如く走りまわる姿が忘れられない。シーズン最終節を前に薩川とともに戦力外通告を受けてしまう。もし、この戦力外通告がなければ、甲府との入れ替え戦は結果はたとえ同じだったかも知れないが、もう少しマシな試合になったはずだ。
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 高校の後輩、谷澤を可愛がっていた様で、サテライトの試合中に谷澤が倒されていたら「こら、サボるんぢゃねぇ!」と叱咤しながら足蹴にしていたことを思い出す、サムライ増田よ、お疲れ様でした。
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by ta_ch1967 | 2006-11-14 01:05 | サッカー